有職お誂え雛人形工房 京人形司 京都桃玄(とうげん)
プロフィル
〒604-8451
京都市中京区西ノ京輿岡町 25-19
TEL 075-462-7745
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< 2013年08>
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せや、讃岐の国に行こう!

まぁ、家に閉篭って作業をする毎日です
今年は今のところ順調に作業が進んでます
四国に行こう!と、
行ってきました
香川県の三豊市の詫間ってトコです

朝の7時半過ぎくらいに出発しました
世間は出勤ラッシュってやつですね
女人の白い肌が眩しい季節なんですよね、今って
取りあえず名神高速に乗りましょう



名神から中国道に、、、
何じゃ?この混雑は
トロトロと約1時間半くらいでしょうか?
めっつちゃ眠いっちゅうねん!
前の日寝たん朝方の5時くらいやったし
生活のリズムが夜がたになってるんです
写真は車が止まっている時に撮影してます
安全第一です!



私の車にはナビは付いてません
ラジオかCDしか聞けません
とてもシンプルなコクピットです
インターチェンジで参考になりそうな地図を手入し
それを見ながら運転します



明石海峡大橋ってやつです



観覧車なんかもあるんですね




まぁ、何だかんだしてる間に香川県の詫間に到着
約6時間半
やっぱ遠いな~詫間までって



駅の前にはこんな者が並んでます



え~、、、
ホ、ホテルが、、、つぶれてる、、、

前はここに泊まったのに
今宵、どうしよ、、、
まぁ、最悪車中泊しよっかぁ
俺一人やし何とでもなるし~^^



とりあえず母親が眠るお墓に向かうかぁ
と、ハンドルを切りました

松下家 母方のお墓です
母親もこの世を去る時は松下でした
おじいちゃんとおばあちゃんが
ねむるお墓に入るのが良いだろうと
ここに納骨しました

何故かお花が飾られてました
誰でしょう?
もう松下家のお墓をみる親戚も居ないはずですが?

最近です
本当に最近、母親が逝った事が理解できます
それまでは何処か他の場所に居る様な気がしてました
何処かの病院で治療中みたいな、、、



道を一本渡れば海です
この海で毎年帰省しては兄弟で泳いでました
昔は綺麗な砂浜だったんですよ
ゴミもほとんど無くて
海の水も透き通っていて
今は海岸が波で侵食されコンクリートで補強
時は流れて去って行きますね
確実に



私が小学生の3年生くらいの時の事です
兄弟3人で朝から海に入り遊んでました
写真右上に白い四角い建物らへんに座って
私達兄弟を
ず~~~~~~~っと事故が起きない様見てました



お昼頃に母親が
「お兄ちゃん!おにぎり作ってくるし
皆ちゃんと見といてや!」
と言ってその場を後にします
私は解った様に返事をしたと思います
なんせ遊ぶのに懸命でしたから

暫くして母親が銀色の金属性の物のおにぎりを乗せ
戻って来ました
今でも何とな~く覚えているのです
炊いて時間が経って少し黄色くなったお米の色と
独特の香りがしているおにぎり
大きさも揃っては居らず
大きいのやら小さいのやら、、、

そのおにぎりを口に入れると
旨ーっ! 
その時の味は今でも覚えてます
何なんでしょう?
決して美味しい味では無いんです
だってハッキリ言ってしまえば少し臭いおにぎりですもん
海で泳いで唇は海水で辛くなってるですもん
塩で握ったおにぎりなんて、、、
その場の雰囲気が良かったのかな?

おにぎり食べ終えた私達はまた海へ
日が沈むまではしゃいでましたね~
その間も母親は
ず~~~~~~~っと事故が起きない様に見てました
白い日傘を右手で持ち
左手は軽く握り頬に当てて

遊ぶだけ遊んで晩ご飯です^^
カップラーメンです
この地方では「金ちゃんヌードル」だったと思います
主流が
それと焼きそばも金ちゃん焼きそばだった様な気がします
それとパンです
お婆さんが個人で経営されてる本当に小さ~いお店のです
正直、美味しいとは言えないパンでした
皆でワイワイ言いながらの食事
楽しかったのを覚えてます

テレビが無かったので夜はトランプや
花札にマージャンをやってた記憶があります
釣りもしました
キスやコチが釣れます
時々オコゼも釣れました
アサリも捕れましたし
渡りガニも捕れました
ボイルして食べると美味しいんです
山に行けばカブトムシなんかも居ました
昔の家屋なのでトイレが外にありました
特に大きい方の時は弟に付いてきてもらってました
電気が通ってなく懐中電灯かロウソクです
勿論水洗では無いにで下を見れば
何かが見えそうな気がして・・・怖かった!
そんな沢山の思い出が詰まった場所です
今はもうその家は取り壊されて有りません
新地になってもう十数年が経ちます
此処へ帰ってくる機会もめっきり減りました



今宵は是までに致しとう御座います
続きはまた後日に

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更新:2013年08月09日